学校行かない選択をしている子供二人と私

楽しいことで生きていく! 弟:小学生から不登校⇒中学生になりました。 姉:中1から不登校⇒中3(受験生) になりました。

嫌だったら関わらなければいい!(私が勝手に思っていること。)

いろんなことを、いろんな解釈で考えるのが好きです。 合ってるかとかより、考えるのが好き。 

ちなみに、湊かなえさんの小説大好きです。 目に見えている(自分が思っているだけの)現実と、違う事実が裏側に隠されている 感覚が何とも好きです。

考えすぎて、結果的に無駄も多いですが、そんな無駄も含めて好きです。

 

 

本題:

新学期前の自殺を食い止めるために、いじめ、不登校の番組がNHKで頻繁に放送されていますね。私も、いじめの話を書いてみようと思います。

 

これは、ずっと心に引っかかってることなんですが、「嫌だったら関わらなかったらいい。」 これ、わたしの周りで結構言う人多いんですが。どうでしょう? 大人同士でも使うし、大人が子供に言ってるのも聞きます。

仕事、嫌やったらやめたらいい。 学校、嫌やったら行かなかったらいい。これは、いいと思うんです。 

嫌な人、嫌なら関わらなかったらいい。 これは、いけないと思う。 嫌いだからって、関わらにのは違うと思う。 

 

いじめられてて、いじめから避けるために、いじめっこたちと関わらない選択はありだと思う。むしろ、身を守るためにときには必要。

でも、自分と意見が合わないとか、気に入らないところがあるとか、なんか嫌だなって感情だけで相手と関わりを持つのをやめてしまうのは違うと思う。

 

誰とでも仲良くしよう!なんて、それは、残念ながら成長するにつれて難しくなるのはしょうがない。

ただ、自分が苦手な人、嫌いな人とも うまく付き合う方法を探る努力はするべき。 適度な距離感と、関わり方を考えてみるのは、本当に大事だと思う。

 

自分と同じ感覚の人といるのは本当に、心地が良い。 意見の合わない人とは関わらないほうが使うエネルギーも小さくてすむ。 でも、それが いじめ に繋がるかも。例えば、OOさんとは気が合わないと思う人がクラスに10人いたら。 その10人がその人と関わらないことを選んだら。 それって、集団で無視していることと一緒。いじめになりますよ。

 

大げさに聞こえるかもしれませんが、実話をひとつ。

小学校高学年の女の子の話。 

気が合うメンバーで休み時間はどこに集合ね、って決めていた。 

1時間目の休み時間は体育館の前集合。 2時間目はどこ。というように。 教室には残らない理由は、気が合うこのメンバーだけで遊びたいから。 どこに集合かは、前日ラインで話し合い。 

そんな事をするグループが増えていった。 休み時間、なぜかクラスで1人になることが多くなった。 1人になった子は、意味がわからなかった。 急に1人ぼっち。 

みんなに嫌われているのを認めるようで、怖くて聞けなかった。 どこに行ってたの?  

辛くなって、1人になった子は先生に相談した。

先生は、クラスの女の子何人かを呼んできた。

「OOさんを、無視しているのか?」 呼び出された女の子たちは答えた。

「無視していません。同じグループの子達と一緒にいるだけで、OOさんを無視はしていません。」どの子もそんな回答。  無視していない。いじめていない。 ただ、気の合うメンバーで一緒にいるだけ。

 

Aのグループの行き先は、グループ内3人の秘密にしていただけ。 OOさんだけに教えなかったのではなく、他の全員に教えていない。 Aの子達からしたら、Aとその他大勢(水色)なわけで、1人になった子に意地悪をした気はないと。

f:id:shibazakuranezumi:20180901013915p:plain

 

 

グループA B Cが意図的にそうなるようにしたとも考えられますが、無関心が起こしたいじめなんじゃないかとも思う。

 

 

実話をもう一つ。

これも、小学校高学年の女の子の話。

女子数名のグループから、うっとおしいと思われている女の子がいた。

その子は、そのグループの子達と仲良くなりたかった。 

だから、いつもそのグループに引っ付いていた。 

その子は仲良くなりたかったから、話に合わせようと頑張っていた。 

「そうだよねー。私もそう思う。」と誰かの言葉に同調していた。 

でも、みんなそれを不快に感じていた。 だから、その子がしゃべると、みんな「そうなんだ。。。」と言って黙った。 

その子が発言すると、みんなが 「そうなんだ。。。」と聞いて黙る。イヤな空気。 

その子が質問すると、答えは返ってくるけれど 誰とも会話のキャッチボールは続かない。 その子はその空気に耐えられなくなって泣くこともあった。

あるとき、一人の子が、その女の子に声をかけた。「あの子達と一緒にいること、辛くならない?大丈夫?」 その子は、「でもね、わたし、あの子達と仲良くなりたいから。」と答えた。

先生が何かを察し、そのグループの子達を呼び出して、何か意地悪していないか聞いた。

女の子たちは、「一緒にる時、おしゃべりもしているし、意地悪なんかしていません。」と答えた。 

コミュニケーションは、片方がどんだけ頑張って歩み寄っても、相手が関わらない選択をした時点で、距離が縮まらなくなる。 

 

 

嫌なら関わらなければいい。ではなく 気が合わない相手でもうまく関わる方法を見つけてみよう。

関わってみることで、見つけられることもあると思います。

わざと、攻撃的に批判しするのも、正しい関わり方には思えない。

興味をもって、相手を理解してみようって思う気持ちで関わってみたら、ちょっと世の中が優しくなりませんかね。 

相手に意見や考えを合わせることはない。

でも、合わない相手も認めて、攻撃的にも、無関心にもならず、上手に付き合える方法を探っていくってどうでしょう? 難しいけれど、そんな気持ちでいるだけでも、変わらないかな。

 

 

そういいながら、、、離婚してる私が何とも言えませんがね。 結婚相手と理解不足ですもんね。 それに、中学生の時、仲良かったのに大喧嘩をして それ以来絶交している人がいます。 成人式の時、その子、些細なことで大喧嘩したね、あの時はごめんねって言おうと思っていたんですが、、 当日、その子に話しかけたら無視されました。 ちーん。。 その失敗も含めての、、、 勝手に思っていること。でした。