学校行かない選択をしている子供二人と私

楽しいことで生きていく! 弟:小学生から不登校⇒中学生になりました。 姉:中1から不登校⇒中3(受験生) になりました。

仲間の線引き。 

娘が久しぶりに登校して、「もう二度と行きたくない。」と言った話を前回書きました。

 

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息子が気を許して通っている施設の相談員さんに、娘も先日お世話になりました。その時の印象が娘も良かったようなので、相談員さんに、学校に行ってみたけれどもう二度と行かないって気分になった話を伝えました。

 

私「クラスメイト何人かと先生がオデムカエしに行ったみたいで、、、、」

相談員さん 「あら、あら、それは嫌な気持ちだっただろうね。知らん人が迎えに来るなんて。」

 

 

え! 知らん人って、、知らない人じゃなくて、クラスメイトだよ。 

四月から1ヶ月ちょっと一緒だった、クラスの友達 と思わないのかな。 

私の感覚、相談員さんの感覚は違う。 そういう仲間の線引きもあるんだ。 

娘も クラスメイト=知らない人 と思っているのだろうか?

「知らん人」っていう言い方も、ちょっと面白かったので、娘にその話をしてみた。

 

私「相談員さんに、オデムカエされた話をしたらね、知らん人なのに? って言ってたんだよ。 クラスメイトなのに、知らん人って言い方ちょっと面白いよね。」

娘「その通り!!そんな仲良くないんだよ。友達とかのレベルじゃないんだよ。クラス一緒かもしれないけれど、知らん人だよ。 よくわかってる!!」

 

娘は、クラスメイト=知らん人 だったみたいです。

 

クラスメイト=友達=仲間 って感覚でいた私には驚きでした。 そういう考え方もあるんですね。 逆に私の感覚を話すと、娘もびっくりしていました。 そんな風に考えてるんだ!って。

 

私の感覚では、全て仲間なんですよね。

例えば、同じクラスってだけでクラスの仲間。 同じ地域に住んでいたら、地域の仲間。 同じ学校を卒業していたら、同窓生っていう仲間。 一緒に働いている人は働く仲間。 本が好きな人は本好き仲間。 ブログをしている人たちブログ仲間。 

仲間だから、どうってことはないけれど、いろんな仲間がいて、名前を知らない人もいるだろうけれど同じ何かを共有しているだけで「仲間」として助け合う人たち。 って感覚。  そこに、仲良しかとか、好きか嫌いかとかは関係なくて、好きでも嫌いでも、名前を知らなくっても、仲間なんだから協力しましょうっていう気持ちでいます。

 

仲良しは、仲良しで気の合う仲間。 それも大事だけれど、社会の歯車のひとつとして自分がいろんな仲間と生きていて、生かされている。という感覚でいます。 

 

 

私が子どもの頃は、インターネットなんて発達していなかったし、狭いコミュニティーの中で育ちました。 高校になってポケベルやPHSが出てきて、知らない人と繋がる。ということを知りました。 今の子供たちは、もっと小さい時からスマホやパソコンで世界中とつながっていたりして、全てを仲間なんていっていられないのかもしれません。

 

そこに、属している人を仲間と思うことを前提としているところが学校だと思います。

クラスの仲間だみんなで協力して頑張ろう! クラスメイトが困っていたら、仲間なんだから助けよう。 とか。 仲間だから、仲良く。 仲間だから、一緒に。 

人付き合いが、軽く考えられたら、その考えにのれるとおもいます。

ただ、仲間という言葉を慎重に考え、仲間と呼ぶにふさわしい関係かを意識してしまう人にはいるのが苦痛な場所になってしまう気がします。

 

娘が学校に馴染めないのは、そこかもしれません。

裏で陰口を言っているもの同士でも、表向きクラスの仲間として 一緒に何かに取り組む感覚も苦手なのだと思います。 

 

仲間の定義を娘と話していて、娘が

「学校さ席替えしていたんだよ。席替えしてるのはいいよ。学校行ってない子の席をど真ん中に配置する? 教室行ったら360度囲まれてるんだよ。 先生配慮出来なさすぎじゃない?」 と笑っていた。

私も、ど真ん中には、笑ってしまった。。。

確かに、先生そこは何故?? 

 

今回のことで、仲間に対する娘の考え方がわかって面白いな。と思った。

人って本当に違うんですね。何から何まで。