元不登校はブランドで、 不登校はビジネスになる?
不登校からでも、問題ない人生を送っている人がいるのはみんな知っている。
でも、そうじゃない人たちがいるのも、知っている。
だから、「不登校」となると、親は将来を悲観してしまうんだ。
不登校歴が長くなってきた。
そうなると、どこでも聞くアドバイスはだいたい同じ。
♪ 親が不登校の状態をうけいれる
♪ 子供が自分から動ける心の回復をまつ
♪ 不登校でも大丈夫
♪ 生きていたらなんとかなる
♪ 子供が自分自身をうけいれるのをまつ (自己肯定感を持たせる)
とりあえず、親がすること、「その時を待つ」 これに尽きるんだ。
でも、子供の様子を見ていて 「待つ」 だけでいいのかと、不安になるよ。
不登校から成功していっている人たちの話を聞いていくうちに、
不登校でもどうにかなったのは、結局「その人だったから。」なんだよね。
子供が、不登校になって初期のうちは、 元不登校で、成功していく人たちの話が光 に感じたし、少し 大丈夫って安心できた気持ちになった。
不登校当事者の話をきいて、不登校の時の気持ちをちょっとわかった気になったり、それをヒントに 良い方向にすすむように考えられるなって思った。
でも、結局は、他人の話。
我が子にあてはまるとは、限らない。
不登校でもいろいろいるんだよ。 原因も、期間も、性格も、環境も、全部違う。
「学校行かなくっても、大丈夫な人」
と
「学校に行けなかったことが、ずっと心残りの人」
がいるって 両方の事実は知っておいて、
ちゃんと、自分の子供がどうしたいのか。
を知って、考えて発言しないと、
学校いかなくても幸せなこに、「学校行かないといけない!」と言ってくるしめたり、
学校行きたくて、でもいけなくて辛い子に、「学校なんて行かなくても大丈夫!」と言ったりして、傷つけることになる。
アドバイスする側も同じ。 この前提を無視しているひとが増えてきているのが怖い。
元不登校当事者で、社会復帰成功した人たちの中に、
「学校なんて行かなくて大丈夫!」と、行かせない道を強く押したり、
「不登校児は才能の塊だから!」と、根拠もない 勇気付けしたり している人がちょっと増えてきているのは、、、どうかと思う。
あと、たった1ヶ月学校行けなかっただけで、元不登校当事者 と、アドバイスをしているのをみると、本当にもやもやしてしまう。 子供が不登校になって、どうしたらいいかわからなくて、藁にもすがる思いの親にたいして元当事者というだけで、教祖みたいにアドバイスしているのを見ると 心配になる。
元不登校が、ちょっとしたブランドみたいになってたり、不登校支援が、お手頃ビジネス化しないことを本当に願う。 と、最近感じる。
元不登校当事者で今は、成功してる人の話を聞いて、
親は「不登校でも大丈夫だな。」と安心して、
渦中の子供は、「その人がそうだからって、自分は違う。」って感じてることありそう。
私は、きちんと子供と向き合えているのだろうか。。。
と、不登校児の親たちと、当事者たちがオンライン上で交流しているのをみて感じた。
そして、不登校児の親たちも、たくさん集まると、「辛さの共有」から、「マウントの取り合い」見たくなるのだな。。と観察していて感じたよ。 客観的にみると、あぁ、この親だったら子供不登校になってもおかしくないかもな。。追い詰めてるなぁ。。とか感じる人いたりする。 自分は、どうだろうか。。 人のフリ見て、、、、 だな。
本当に、子育てって、、、 親育てだな。