学校行かない選択をしている子供二人と私

楽しいことで生きていく! 弟:小学生から不登校⇒中学生になりました。 姉:中1から不登校⇒中3(受験生) になりました。

進級、進学するうちの不登校児たち。

お金があれば不登校が解消されるとは思っていないけれど、選択肢が出たとき踏み出しやすいことは確か。

 

娘が週一通いはじめた中学校。

1年経ち、友達もできて、ついに,,,

毎日行きたい。コース週5にかえて。

と言い出した!

 

素直に嬉しい。

 

4月から週5コースに通わせてあげたい。

お金,,がんばるさ。

どうにかするさ! するしかないさ。

毎日登校は、無理かもしれない。だけど、それならそれでいいじゃないか。

本人に任せたい。希望を叶えてあげたい。

お金がないからと、諦めさせたくない。

 

 

 

息子,4月から中学生。

近くの公立へ行く予定。

支援級もあるし、とりあえず勉強はしたいと言うので、教室無理なら支援してもらう予定。

 

 

 

素直な気持ち。

朝、自然に起きて、外に友達と遊びに出かけて、元気に帰ってきて、夜、自然に疲れて寝る。

そんな生活が希望。

それが、我が子には、高望みなんでしょうか。

時々、ふと、辛くなる。

そりゃ、、生きている。 それより 大事な、大切なことはないよ。

だけどさ、

親が、それ以上を望むことが そんなにいけないこと?

学校の先生に、最近生活どうですか。何時に起きて、何時に寝ていますか。と、聞かれるたびに、苦しくなる。

生活習慣を身につけさせるのが、親の仕事ならば、私は親として失格だ。 その事実が、グサリと刺さる。

六年生、卒業文集の原稿提出を頼まれたけど、子供はやりたくないと言う。 一言でも、何か書いてくれたら、後はイラストを入れてあげると言われた。 そんなの、さらさら希望していない。 イラストって、先生が学級便りに載せてる、あれでしょ。 目立ちたくないのに、目立つでしょ。

クラスの一員、仲間意識を大事にする先生と、 仲間と感じていない 不登校の子。 クラスページの提出なんて、余計何を書けばよいのか悩む内容だった。学年ごとの、自分の最高の思い出を書いてと言われた。 学校行っていない子に、何を書けと?

みんなの作文や、写真満載の学級だよりも 素直に読む気になれず 捨ててしまっているよ。

アニメ?漫画?にはまって、タブレットでずっと読んでいる。 健康な体であるはずなのに、太陽がのぼりきった昼過ぎに起き、いや、私に叩き起こされ、、、、、起きてからは、布団にゴロゴロしながら 漫画やらアニメやらを読んだりみたり している。

何これ?

学校行かないって、自分でやりたいように勉強したいって言ってた人が、、三年経って結果がこれ?

よい環境を見つけてあげられなかった親である、私の責任じゃないかと思う。

相談にのってくれている ソーシャルワーカーさんは、子供が成長した証拠といった。

子供の不規則な生活は、私もつらい。 私は、寝不足。

時間に常に追われている感覚。

生きるために働かなくちゃいけない。

親として、子供の健康を守りたい。 健康を守るには、規則正しい生活じゃないの?

ゲームばかりする不登校児。 親が制限するから、子供が隠れてまでやりたがって、親子関係が悪くなるから、親は見守るだけで口出ししない方がいいと。 制限しない方がいいと、よくテレビでも聞く。当事者の人や、カウンセラーも同じようなことを言うのをなんども聞いた。

長時間やって、視力悪化。 姿勢が悪くなる。 運動不足。 体が疲れないけど、目だけさえる。 眠れない。昼夜逆転し出す。 は、本当に大丈夫な問題?

乱れた生活リズムは、心を余計疲れさせると感じるのは、私だけ?

母親として無力で情けない。

今 午前3時。嘆いていても何も変わらない。

人を、自分が変えようなんて、思っちゃいけない。

4時間寝て、美味しい朝食つくって 自分を元気にしよう。

わかってるよ。 専門家さん達は、

不登校の子は、現実逃避で自分の心を守るために、依存してるって言うんでしょ? でも、親も時々は、意向を爆発させたくなるんだよ。

生きてる!君がいきているのは、素晴らしくうれしいこと! 長生きして欲しいので、健康をたもつ努力を考えてくれませんかねー? ってさ。 おやすみなさい。

参加しなかった運動会。見に行けなかった運動会。

運動会。

不登校の子を持つとざわつきます。

まず、九月に入ると先生から、

「運動会にちょっとでも来ない?」

と打診があった。

息子悩み中。と回答。

定期的に

どうか? ちょっとでも来れないかな?

と、連絡がはいる。

騎馬戦、組体操は、練習が必要。

息子に伝えると、行かないと決まったので、

学校に連絡。

学校の先生から、最後の運動会だからちょっとだけでも!と、その後も何回かお誘いがあったのですが、本人は断固として行きたくない!と拒否。

運動会に行かないのは、息子の決めたことなんで、私の気持ちは、本当に

参加しなくてもよかったのですが、、、

保護者の運動会のお手伝い依頼を受けました。

息子の通っている小学校では、全生徒の保護者が年に1.2回必ず何かお手伝いをすることになっています。 PTAのお手伝いを全児童の保護者が手分けしてやる感じです。

通常、アンケートが年度初めにきて、どのお手伝い希望か答えるんですが、今年は学校からそのお手紙もらったのが、提出期限切れてからだったので提出しませんでした。 お手伝いのことすら、すっかり忘れていました。

依頼されたお手伝いは、朝の受付。

運動会に子供が行かないかもしれないのに、朝早くから行く気になれず、、、

「息子は学校にいっていない。息子が運動会に参加しないときは、代わりを頼むことは可能か。」と、依頼の返信をしてみました。

息子が学校に行ってなくても、去年までは、PTAも、お手伝いもお願いされるがままやってきました。去年は、大変な役をしました。十分貢献した気分です。

もう今年は、やらなくてもいいですか?と いう気分になりました。

数日後、「運動会に参加しないというのは、決定事項ですか?」 と返信がありました。

その時、息子がもしかして、去年のように当日行くって言うかもなぁ、、という可能性もあって 絶対行かないって言うことができず、返信をどうしようか戸惑ってしまいました。

返信するより前に、「代役を立てました。PTAの方が、協力してくれます。」 とメールがきました。

勝手言って申し訳ありません。とだけ連絡しました。

運動会当日。

幼馴染や、近所の子や、幼稚園の知り合いや、、みんなの頑張りをちょっとだけでも見たかったのですが、お手伝い断ってしまった手前 見に行くことに罪悪感を感じ 行けませんでした。

運動会の音がかすかに聞こえそうで、外出する気分にはなれず、お掃除して気を紛らわせていたのですが、、

お昼時間に、学校から電話。

はぁ、、、

正直これが一番つらい。

電話でしつこいお誘い。

先生にしたら、最後だから少しでも!って思ったんでしょうね。

でも、しつこくされるほど、逃げたくなってしまいます。 子供も、私も。

私は、見に行きたい、でも行けないジレンマとも戦っていたので、電話にでることができませんでした。

運動会、ざわつきます。

いろんな意味で。

子供たちが学校にフィットしないのは、わたしのせいなのかも。と思える。

タイトル通りで、、 子供たちが、学校にいかない選択しているのは、実はわたしのせいなのかも。 と最近感じてしまっています。

 

育て方が悪かったとか、そういうのはわからないので、抜きにして。

私が、学校にフィットしていなかったんじゃないかと思う。

 

 

学生の頃の、あれやこれや、あまり覚えていたなかった部分もあったけど、久しぶりに小、中の同級生が集まったとき、いじめてられている子や、クラスでういている子を守っていた。とか、生徒代表して先生に意見していた。とか、、 変わってたよね、昔から。 と言われた。  そうなんだ、私 気がつかないけれど浮いていたんだろうな。と感じた。

 

違うと思うことは、違うと思うといってしまう性格。 今でも続いていることは、自覚している。 たぶん、子供たちにも、わたしのそういうところが、遺伝なのか、一緒にいるからなのか、移っていると感じる。 

 

息子は、無条件で先生の言うことをきくことはない。納得しないことは、なんでそうなのかと、聞いてしまう。 大人としては、屁理屈をいう子供。にしか映らないかも。

娘は、先生に直接は言えないけれど、先生にがっかりしていた。 大人だからって、子供にその態度はないでしょ。 あれは、ひどすぎる。とか。 

 

 

私は、集団の変な空気も苦手。頑張ってる人を、バカにはしないけど、少し笑いものにする感じとか。 人の好きなものが、多数ちがったら 変わってるよねーと、違う目でみる感じとか。 集団のそんな空気感、すっかり忘れていたけれど、先日、同窓会があって思い出した。 漫画家目指していた○○ちゃんの話になった。 その子は、クラスで浮いていた。 漫画ばっかり1人で書いていた。 楽しそうに。 同窓会には来ていなかったけれど、幹事の元に届いた欠席のおしらせに 漫画を書いています。 ここでも読めます、と ウェブ上で公開されているアドレスが載っていた。 それを、みんなでシェアした。 みんなで読んだ。 私は、すごいと思った。 好きなことをこの年齢まで続けていることに。  けれど、みんなは、違う意味で見ていた。 『変わらないよね。 怖い。 今晩夢に出そうだわ。 最後まで怖くて見れないわ。 』 1人の子が、マイナスな発言をしたら それにのっかって、どんどん出てくる。 そして、みんなで笑っている。  『なんで? 頑張っててすごいじゃん。 好きなことずっと続けてるなんてすごいじゃん。』 と、ひとりだけ 違うことをいって、 『相変わらず、あなたも変わってるよね。』と笑われた。

 

あ!!そうだ。 そこで、気がついた。

私、学校のこういう空気が嫌だったんだ。 すっかり忘れていたけど、思い出した。

学校に通っていたけれど、フィットしている気がしてなかったことも思い出した。

 

勉強することは大事だと思うけれど、学校を私自信が大事に思っていないことに気がついた。 

 

わたしが、学校を大事な場所にさほど感じていなかったから、子供たちが学校にいかないっていう気持ちを理解できたし、否定しなかったし、いいよ。と言えたんだ。

 

そうだ。

私が、この社会にあまり合わないんだ。

 

仕事も、海外の人と一緒に働く職場ではうまくいって長く続いた。

日本人ばかりの会社では、うまくいかなくて、3ヶ月で転職になった。

あぁ、、 そうだー 私が一番、この社会に不適合なんじゃないか。

と思ったら、 私、俗に言われている 毒親 ってやつなのかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネルに入ったみたい。

前向きに進んでいるようで、壁にぶつかりまくりです。

中学生不登校の現実は、かなり過酷。

中学生活は3年しかない。

留年はさせてもらえない。

→例えば、1年生体調わるく不登校で、2年生で再登校しようと思っても、2年生の勉強からになってしまいついていけない。

→2年生になって、再登校できそうな体調になったら、その準備として勉強をスタートさせる必要がある。1年、2年の、2年間分の勉強を1年間で終わらせられたら、3年からは行けるかもね。

→2年間分を1年でやるのは、かなりきつい。勉強得意な子は問題ないだろうけれど。

結果 体調整っても、学校再登校するにはハードルが高すぎます。

高校進学の内申は、中1から。

→1年間休んだら、その分を、2、3年生で成績よくして取り返すしかない。

→2年間休んだら、3年生で取り返すしかない。

結果 内申が関係する公立高校進学はかなり厳しい。

受験科目を絞って、内申大きく左右されない私立高校を目指す。

→国語、数学、英語 を頑張れたらなんとかなるか?

→数学、、、大変すぎるかも。

→経済的に、私立でやっていけるか。

結果 私立高校は、進路候補としてまだ道ありそう。

フリースクール

→娘は、フリースクールの雰囲気があまり得意でないらしい。 内輪だけの、盛り上がり感を感じるので、好きになれないらしい。

結果 フリースクールは、違うかな。

不登校の子を対象にした高校

→あくまで、普通の高校希望。

ということで、これも違うかな。

中学の先生は、どこかには、行けるでしょうから、心配しなくてよいと。 通信でも、高認でも、高卒になるしなんて いいますが、、、

娘は、高校卒業資格が欲しいわけではなく、

高校に普通に通って 青春時代を おくりたいんです。

高校に通ってみたけど、合わなくて 通信で高認とった。

高校に入れなくて、諦めて通信にして高認とった。

は、まったく別物。

じゃぁ、不登校なんて、親が認めなければよかったんじゃ? 無理でも行かせるべきだったんじゃ? と言われそうですが、

それだけは、違う。とはっきり伝えたい。

起立性障害で、毎朝、頭痛と吐き気におそわれたり、血の気がない顔だったり。

繊細過ぎて、クラスの空気にまいってしまったり。

体も心も悲鳴をあげていたのは、確か。

近くにいて、痛いほど感じていた。

やっと、週1で、学校とは別の場所に通い出し、毎日楽しそうに頑張っている。 立ち止まりから、動き出した。

さあ、高校で青春を送るぞ!

と、思って、、 現実の厳しさを痛感している。

また、トンネルに入っていく気持ちにまでなりますよ、正直。

国として、不登校を認めるとおっしゃるなら、それなりの制度改革も合わせてお願いします。

不登校、、あ、YouTuber がおすすめしてたあれ?

不登校ユーチューバーゆたぼん。

有名になって、とっても応援され、とってもたたかれ、、、 

なんだかなぁ、相手は子供。 今、彼がやってることが正しくないって思う人も、見守ってあげたらいのに。 

そして、彼が、あんなことしていて間違っていたなって思って学校に戻りたいっておもうようになたら、 その時優しく迎えてあげたらいいのに。 学校にこのまま行かなくても、彼が望むことを応援してあげたらいいのに。 そんなゆとりある社会だったら、みんなが生きていきやすいんじゃないかと 思っています。

 

先日知り合った人に、子供のことを聞かれ、学校に行ってない話をしました。

そうしたら、『あ!あの有名なユーチューバーになった子供がおすすめしてあれ?』

って軽く笑われてしまった。

 

あー、不登校の認知がそうなってしまったか。

と、ちょっと、正直複雑な気分になってしまいました。

 

不登校って一言でいっても、本当に複雑で、

1 学校に行きたいのに行けない子。

2 学校にそもそも行きたくなく、興味もない子。

がいる。 

 

それに、2の子でも、理由はいろいろでも、結局、そこに自分の居場所がみいだせなかった。 馴染めなかった。 と言う事実はあると思う。 ゆたぼんがどうかは知らないから、何も言えないけど、 学校行くなんて意味ないと言っている息子でも、学校が違えば行けていたんじゃないかと思うことも多々あるし、単純ひとつの理由だけで、いかない選択まで突き進んだわけでなく、いろいろなことの積み重ねで、耐えられなくなって、行きたくない!となったわけ。

 

ゆたぼんを知らないので、何とも言えないけれど、YouTubeで発信したことによって 沖縄で静かに不登校児生活を送っていては出会えなかった人たちと出会えたり、今のようないろいろな経験はできなかったんではないかな。 とってもハイリスクではあったけれど、その点だけは、正直に羨ましいと感じる。 人と出会って話をした経験は、彼が今後どんな人生を歩むにせよ宝物になると思う。 

 

9月1日問題(10代の自殺者が一番多い日)のちょっと前から、誰にも自殺して欲しくない。と思えて、こころがざわざわ。 そんなつぶやきをしていいる子をツイッターで見守り。不登校問題と、学校にいくしかない問題、居場所がない問題、など考えていたら寝不足続き。 大人なのに、全然力がなく、全然社会貢献も出来ていない自分にがっかり。 やっぱり変えなきゃ!と思って、動いてみるも、いろんな『無理』が降りかかり、、 着地点がない ぐるぐるした 思いをずっと抱えています。

 

 

家族のかたち。

このタイトルで以前書いていたブログ。 

アップできずにいた。

そして、何となく、アップする気にならず削除した。

 

そして、もう一度このタイトルで書いている。

 

私の家族。

私の両親は、とっても仲良しだと思います。 口喧嘩とかしょっちゅうしているけど、嫌な感じの口喧嘩じゃなくって、結局仲良しなんだなって思う感じの言い合い。 二人にとってのコミュニケーションのとり方なんだと、大人になった私は思っています。 

週末は、子供がいなくても二人でお出かけしています。一緒にお買い物いったり、ご飯を食べに行ったり。 

子供の頃も、週末 家族でお出かけしていました。

小学生の頃は、山へ行ったり、味覚狩りにいったり、ドライブしたり。

父親もよく一緒に遊んでくれた記憶があります。

幼稚園児のころは、父親と弟と三人でお風呂に入っていました。

 

それが、私にとっての『普通の家族』。

 

結婚した相手は全く違いました。

子供が離乳食になったころ、家族で一緒にご飯を食べようと言うと、『なんで?こっちはお腹すいてない。』 

休みの日に、家族でお出かけしようとさそうと、『疲れているから無理。』 

手が離せないから、子供と一緒にお風呂入ってと頼むと、『ゆっくりできないから嫌だ。』

お誕生日や父の日にケーキを買ったり、ご馳走を作ったりしたもんなら、『わざわざ何とかの日とかいう人気持ち悪。』

。。。って感じ。

それが、全く理解できず、

 

からしたら、『家族でしょ?なんで?』

相手からしたら、『家族だよ。だから?』

 

私の思う家族と、相手の思う家族は全く別もの。

そして、お互いに『自分の家族のかたち』が好きだったんだと思う。

 

自然に ギクシャクしていき、私は自分が思う家族を諦め、子供のために『父親ぶんも自分がどうにかしよう』と言う気持ちで過ごしていた。

文章にかけないようないろがあって、最悪な状況になって、なるべくして、今の状況になった(シングルマザー)。 育った環境が違いすぎて理解はしあえなかった。

 

ただ、私と子供たちが、旦那、父親を自由にして、ご機嫌をとりながら、静かに我慢していただけ。 

 

 

学生の頃のお友達と会い、『家族のかたち』の話になりました。

 

友達A『わたしの家を羨ましいと思った。いつでも、優しく迎えてくれていたし、家族でカードゲームとか普通にしていたから。うちは、父親怖かったし、そんな感じに全くならなかった。孫ができてトランプしてる姿見て トランプできるんだ!ってびっくりしたくらい。』

 

友達B『家族でトランプとか、絶対に嫌だ。まったくやりたくない。今までもやったことないし。そもそも、みんなでトランプしよ、とか言われるのもめんどくさく感じる。友達だったやるけど、家族とわざわざしたくない。』

 

友達Bには子供がいます。 自分の子供とも、まったく一緒にゲームなんてしたくないらしい。お出かけも、極力したくないらしい。 子供と出かけるの、イライラするし、言うこと聞かなかったら怒らなきゃいけないし。 それだったら、近所の公園で遊ばせておくか、DSさせてる方がゆっくりできる。 叱らなくてもすむし。という意見。

 

衝撃だった。

元旦那と、少し通ずる部分がある。 家族っていろいろなんだなと しみじみ思った。

そんなの、家族じゃないと、どこかで思っていた自分がいたことにも気がついた。

どんな形があってもいいのが、『家族』なんだと。

 

 

父親が、一緒に出かけたくないから出かけない。を貫いていた。それをみて育ってきた息子。 似てるんです。

 

帰省した時、

『みんなで○○いこう!』とお出かけ計画をたてていると、息子だけ『留守番しとくわ。』とか平気で言う。 みんなで楽しみたいって思ってるときの、みんなには、あなたも含まれていますよ。 あなたもいるから、楽しめるって思うんですよ。 一緒に時を過ごしたいのですよ。 ちょっとこっちに、付き合ってみたら、楽しいかもしれないよ! 今回は付き合ってみて。 と、説得をしなくてはいけなくなる。 

結局最後は、一緒にお出かけして、行った先では楽しんでいたりする。 

 

 

家族って、本当に。